保田沖海戦

8月21日と9月19日に保田沖にて湾マリ水軍「SIESTA」「KAMEKICHI」と宮川水軍「阿武隈」が海戦を行った。
両海戦とも天候に恵まれて、日本初の水軍合戦は行われた。

8月21日
Twitterで知り合った、長浜司令官と田中司令官の間で1か月余りに亘り、戦闘方法などの打合せが行われた。最終的に色つきのシャツを着てメイン1枚で水門は8〜9m級2問とされた。その他細かいところは適当であった。

21日は翌日に控えたTYC東京湾レースの前日であり、三浦半島突端にある宮川フィッシャリーナに所属する阿武隈号との戦は計画された。

湾マリよりはるばる保田沖まで遠征するSIESTAは海戦の開始時刻の1時間ほど前から保田沖に到着し、まだかまだかと阿武隈を待つのであった。

遥か遠くに阿武隈を発見すると、迎え撃つSIESTAは沖へと出迎えるのであった。

海の男らしく、ミーティング時にお互いに挨拶を交わすと、いよいよ戦闘モードである。

ラブレーサーのSIESTAはクルージング艇である阿武隈(ソレイユルボン26)に対して圧倒的に優位である。メイン1枚で身動きの取れない阿武隈に次々と襲いかかり、上を常に取りながら一方的に打ち負かすのであった。

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帆船「阿武隈」課業記録 http://www.abukuma.blogspot.com/

9月19日
第2次保田沖海戦はTMOCクルージングに参加した「KAMEKICHI」と「阿武隈」との間で行われた。前回、完全に打ち負かされた阿武隈は司令官以下作戦を練って再挑戦となった。
前回はSIESTAとの戦闘能力にかなりの差があったが、今回はサイズも同じクルージング艇同士の戦いとなった。

さすがにKAMEKICHIもメイン1枚では俊敏性に欠け、ほぼ互角の戦いとなった。

お互いに上を取ろうとする両艇であはあるが、お互いになかなか上ることができない。マニューバリングの上手さが勝負を制する鍵であった。

今回はほぼ互角の戦いで、両者腕を上げて良い試合であった。

またいつか多くの水軍の参加をもって実現したいものだ。

11月号の舵「読者コーナー」に記事が載ります。お楽しみに。